副大統領候補j・d・ヴァンスが回想録『ヒルビリー・エレジー』で語らなかった物語
ヴァンスにとって「歪ながらも称賛すべき伝統的な結婚の象徴」だったボニーとジムは、モレルが入手した記録によると二度にわたり離婚の申し立てをしている。裁判所の記録と55年3月22日付ミドルタウン『Recorder』紙の発表によれば、一度目は、当時21歳だったボニーが「過度な虐待(extreme cruelty)」と「著しい義務不履行(gross neglect of duty)」を理由にジムとの離婚を申請した。
Jessica Winter • 副大統領候補j・d・ヴァンスが回想録『ヒルビリー・エレジー』で語らなかった物語
70年代に無過失離婚が全国的に導入され始めたことで結婚がより「基本契約」的なものになった、というヴァンスの主張は正しい。しかし、その後の数十年間に集められたさまざまな統計から、女性たちが解消したがっていた婚姻関係がどのようなものだったのかが浮き彫りになった。経済学者のベッツィー・スティーヴンソンとジャスティン・ウォルファースが行なった調査では、無過失離婚が各州で一般化されていく過程で、家庭内暴力の発生率が30%近く減少し、女性の自殺率は16%、夫に殺害される妻の数は10%低下したことが示されている。